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ごあいさつ 
安野さんと “ふるさと津和野 ” 
   津和野は山々に囲まれた美しい町。安野さんに誘われ美術館づくりに参加してから20年以上が経過しました。
通い続けた私はいつもその美しさに心洗われてきました。安野さんと過ごした四季折々の移り行きは本当に感動的でした。梅の花、桃の花、桜の花を一緒に見ることができた春の日のこと、夏の蛍の幻想的な美しさ、深い秋の紅葉の華やかさ、初雪の日の夢のような山道、見事な四季が安野さんと私の見てきた津和野です。でも安野さんはもうこの世にはおられない。安野さんがふるさと津和野のことを、幼き日のことを口にされていたのは、そのころのことが鮮明に思い出されるからだと感じます。幼い日々の安野さんの感性を育てたふるさとで、安野さん亡きあとも美術館を核として作品を大事に、守り続けて行きます。

  42歳で、「ふしぎなえ」を上梓し、絵本作家としてデビューして以来、長い年月様々な作品を世に送り出してきました。
その発想力、想像力の幅広い作品世界は多岐にわたり、まさに目を瞠るものがあります。安野さんの持論は「小学校時代の勉強が一生を左右する」というものです。吸収しやすい子供の時代に基礎が身に着くこと。小さな時の遊び、その遊びの中にいろいろな発想が詰まっていること。また絵を描くことは写真のように描くのが一番いいと考えずに、想像して目に見えない世界を描くのが良いとも語ります。 絵本の世界というのは、親と子が話し合うことの大切さを教えてくれる場でもあります。親が子供に絵本を読んで聞かせる。その際親の読むリズムが乗ると、さらにさまざまな想像力が広がります。書かれた文章は絵と一緒になって豊かな世界を生むのです。その豊かな絵の世界に浸ってほしいと思います。じっくり見て、読んで、聞いて、親子で話し合い、伝えるべきものは伝えてほしいと思います。

 安野さんによって生みだされた多くの絵本は親子三代にわたっての読者となっていただいています。美術館の来館者ノートにはそういった方々の想いが語られており、美術館のスタッフもうれしい気持ちになります。 幼き日に育てた空想力、発想力、芸術的な感性、幅広い視野、たぐいまれな探求心、そういった日々の上に安野作品が育まれてきたと思います。美術館に収蔵されているたくさんの原画作品と生み出された安野光雅の世界をぜひご覧いただきたいと願っております。
 安野光雅美術館 館長 大矢 鞆音
 
 

 
写真:青野山の麓にて(撮影:安野光雅美術館 廣石 修)


安野光雅(あんの・みつまさ/1926~2020)

 大正15年3月20日、島根県津和野町に生まれる。
生家は宿屋を営んでいた。昭和7年津和野小学校へ入学。絵が大好きな少年であった。昭和14年、津和野を離れ宇部高等小学校へ転校。昭和20年4月召集、同年8月15日香川県王越村(現坂出市)で終戦を迎える。

昭和23年4月代用教員として徳山市加見小学校(現周南市)に勤める。昭和25年3月美術教員として上京、玉川学園に勤めた後、三鷹第五小学校、武蔵野第4小学校の美術教師を務める。教員のかたわら、本の装丁などを手がける。

 出版社等の仕事が多くなり昭和36年教師を辞めて画家として独立。昭和43年、文章がない絵本「ふしぎなえ」で絵本界にデビュー。その後、その好奇心と想像力の豊かさで次々と独創性に富んだ作品や淡い色調の水彩画で、やさしい雰囲気漂う風景を描いた作品などを数多く発表した。

 代表作には「ふしぎなえ」、「ABCの本」、「天動説の絵本」、「旅の絵本」、「繪本 平家物語」、「繪本 三國志」や司馬遼太郎の紀行「街道をゆく」の挿画などがある。
 「ふしぎなえ」、「さかさま」、「ABCの本」、「旅の絵本」などの多くが海外でも評価が高く、様々な国で出版され多くのファンをもつ。

 その才能の豊かさは、芸術の世界だけにとどまらず、科学・数学・文学などに造詣が深く、森鷗外訳「即興詩人」を口語訳した「口語訳 即興詩人」などがある。また、「日曜喫茶室」や「週刊ブックレビュー」などのレギュラーを務めるなど幅の広い活動をしてきた。

 平成13年(2001)年3月20日、75歳の誕生日に、故郷津和野の駅前に「安野光雅美術館」が開館。

 多くの業績に対し、ブルックリン美術館賞(アメリカ)、ケイト・グリナウェイ賞特別賞(イギリス)、BIBゴールデンアップル賞(チェコスロバキア)、国際アンデルセン賞画家賞、紫綬褒章、第56回菊池寛賞など国内外の数々の賞を受賞。文化功労者、津和野町特別功労表彰者(名誉町民)。